上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
地獄は存在するものではなくてあなたが創り出すものだ。
そして天国は存在するがあなたが受け入れないものだ。
楽園は現にあなたがいる場所だ。
ところがあなたにはその中に入っていくだけの勇気がない。
そしてあなたが創ったものであるがゆえ、
あなたはそれに執着する。
(ラジニーシ)


仏教でいう「六道輪廻」では、
生前の行いによって次の生が地獄・修羅・餓鬼・畜生・人間・天界のいずれかに決まり、
生まれ変わりを通してその六道をぐるぐる巡ると言われる。
でも、これは本当は生きている今、現在の生において既にそうなのだとも言われている。
烈しい怒りや憎しみに陥った時、その瞬間に人は地獄道に堕ちている。
どんなに周りが親切や善行に満ちていても、
愛や感謝を失った心に世界は地獄としか感じられないからだ。
同様に競争心から離れられない修羅道、果てのない欲望地獄の餓鬼道・・・エトセトラ。

でも、人間の本来の姿は仏であるとか神であると言われている。
生まれたままの赤ちゃんのように
恐怖も、疑うことも、憎むことも知らず、あるがままの生を楽しんで生きるには
「勇気」を必要とするほどに、大人はすっかり自分を忘れてしまっている。
何故か?
自分で創り出した想念や知的な判断が、
生まれる前から持ってきた内なる声を忘れさせるほど
緻密に、巧妙に、念入りに自分の周りを固めてしまっているからではないか。
社会に適応するために築き上げた知識とか経験とかの数々。
ちっぽけな自分を守るために身につけた処世術、競争心、理想。
「地獄はあなた自身が創ったものであるがゆえ、あなたはそれに執着する」
・・・なんともドキリとする言葉。

鎧は脱いでしまえば軽くなる。
でも、それが怖い。
これまで築いてきた認識を捨てることは、一度「死ぬ」ことに他ならないから。
肉体の死と同様、生きたまま死ぬことへの恐怖ははかりしれない。
でも死を通してしか生まれ変わりはない。
そして死を通過して失うものなど、実はさっさと失った方がよいものばかりだ。
肉体が死を迎えるまでに、人は何度も何度も死の予行演習のチャンスがある。
「死」に飛び込めば、その瞬間から地獄は消え、
今、ここに天国が広がっていることに気付く。
そう、天国は努力によってではなく、
気付きによって手に入れることができるのだろう。
スポンサーサイト
2007.03.01 / Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。