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練習し訓練した愛とは、死んだものです。
~略~
覚えておいてください。
ポリシーとして身につけた「許し」も、
理想を求めて創作した「平和」も、
訓練して身につけた「愛」も、
それらはすべて「生命」の欠如した無益なものです。
(カルキ・バガヴァン)


一見、絶望的になりそうな言葉である。
でも、よくよく考えると、
現代の私達がハマりこんで堂々巡りしている「ワナ」から抜け出せる
唯一の道を示してくれているのかもしれない。
「愛しましょう、赦しましょう、感謝しましょう。それらは巡り巡って自分に返ってきます」
・・・それは確かに真実で、その真実性を嗅ぎ取った人は、
「そうだ、愛さねば、感謝せねば」と努力し始める。
ところがバガヴァンに言わせれば、
それはマインド(観念)を入れ替えただけであり、
AからB,BからCへと変えたところで、
ハートは閉じたままなのだ。

そのために私達に意識的にできることは何もないと言う。
利己的になってはいけないという建て前から、
微笑み、謙遜、感謝の表現を作り出し、内的な葛藤と闘い続ける。
そんなことは無益だと。
それよりも理想や信念を捨ててしまうこと。
スピリチュアルな人・いい人を装うのはやめて、
あるがままの姿で生きた方がずっと「気付き」への近道だと言うのだ。

エゴイスティックでない行動の裏付けが偽善や希薄な感情に過ぎないことはよくある。
恐らくスピリチュアルなものに目覚めた人のほとんどが、
この落とし穴にハマりこんでいるのではないか。
だからバガヴァンは言うのだ。
それは生命の欠如した偽りの愛でしかないと。
なんとも耳の痛い話ではないか。

自分の内面に誠実であること。
出発点はここにしかない。
怒りも憎しみも嫉妬も覆い隠さないで、
それが生じた時には、とにかく見つめる。
感情を抑え込むのでなく、
自分が怒りそのものになり、嫉妬そのものになり、
その地獄を味わい切りながら、それを見つめる。
と、そこに観念がなければ、やがてそれは「気付き」になる。
焔が烈しければ烈しいほど、
その焔が自分を焼き尽くしている愚を知ることになる。
そして、本当に気付いたならば、
エゴの愚が落ち、愛が湧き起こるハプニングが起こるという。
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2007.04.01 / Top↑
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