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 倚(よ)りかからず  茨木のり子

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
自分の耳目 自分の二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ



人間って、小さなことは自分で決めたがるのに、
重大なこと、本質的なことほど自分で判断したがらない。
自分よりもっと信頼できる既成の思想や人物にゆだねてしまった方が、
力を得た気分になれるからだろうか。

新興宗教を嘲笑する人も、
情報や、権威ある人や、常識や、流行りの解釈を
無意識に信奉している自分にはなかなか気づかない。
何を信じ、いかに生きるかなんて、
ほんとは常に不透明で、頼りないものではないか。
だけどその不安定さは耐え難く、苦しい。
そこで人は自分の考えや見通しを証明してくれるご本尊を求める。

でも、それはどこまでも「できあい」のものなのだ。
できあいの真理なんてものは、
お釈迦さまやイエス・キリストの時代からあったためしがない。
教義を信仰することはできても、
真理はその香りを周辺に漂わせることしかできないものなのだから。

一人ひとりが自分で判断し、決断し、
試行錯誤して真実を見つけていく作業。
それはとても不安で怖い。
地道で忍耐が要る。

そこで私たちは何かに倚りかかって近道を探る。
だけどその時、私たちは例外なく取り逃している。
できあいの思想も、宗教も、学問も、権威も、また他の一切も、
すべてを注意深く取り除いて自分の足で立った時、
やっと真の人生が始まったと言えるのではないだろうか。

・・・それにしても、なんと素朴で力強い詩だろう。
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2008.08.01 / Top↑
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